2009年05月13日
五畿七道で万歳
五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道(きないしちどう)とも呼ばれた。北海道が置かれてからは五畿八道と呼ばれる。
元々は、中国で用いられていた行政区分「道」に倣った物である。日本における「道」の成立については大化改新以前より存在したとする見方[1]もあるが、五畿七道の原型は天武天皇の時代に成立したと言われている。当初は全国を、都(平城京・平安京)周辺を畿内五国、それ以外の地域をそれぞれ七道に区分した。
律令時代からの七道は、概ね地形的要件に基づいて区分されているが、西海道以外では道単位での行政機関は常置されなかった。西海道は大陸との外交・防衛上の重要性から大宰府が置かれて諸国を管轄した。七道の各国の国府は、それぞれ同じ名の幹線官道で結ばれていた。七道は大路、中路、小路に分けられ、備える馬の数が異なっていた。これら七道には、江戸時代の五街道などと重複する呼称がある。時代や成り立ちが異なるものの、ほぼ同じ道筋にはなっている。
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その後、細部の境界の移動を除き長らく変更はなかったが、後に、和人地および蝦夷地に新たに北海道が置かれた。以後、五畿八道と呼ぶ。なお、北海道の記録は古く斉明天皇の時代阿倍比羅夫の遠征まで遡り、鎌倉時代には和人が住み道南十二館の時代を経、江戸時代には松前藩領や天領となっていた地域に最後に置かれた。これは律令時代から置かれた他の七道と比べると、薩摩藩の付庸国時代を経て令制国となった琉球国(沖縄)とともにずっと後世の行政区分である。【ウィキペディアWikipediaより引用】
どのような知識でも正しく理解する事が大切ですね。
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